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# テンショク
2010/01/16 01:08
 「失礼いたします」
 業務時間内にも関わらず、ふと直属の上司である牧野に呼び出された稗田は、「かけたまえ」と言われ、指定された椅子に座った。
 その部屋は小さい会議室のような小部屋で、よく研修などに使われる。小さな机が2脚と椅子が3脚、ホワイトボードと小さいテレビデオとDVDデッキがある。
 入社から今月でちょうど13年、無遅刻無欠勤で精勤してきた甲斐があったか。今稗田がしている仕事は、どうやら稗田の天職らしかった。どうも仕事をしていて楽しいという感覚を得る。桜も咲き誇るこの時候、少なくとも悪い話ではないだろう。キャリアアップか、本部の人間に目をかけられたか。あまり期待するのは良くないが、少なくとも「宵越しの銭は持たねえ」論を棄却させるような話だろう。そう思うとにやける顔を、こらえるのはあと数分間だ。
 思えば、妻と二人の小学生の娘に、満足に家族サービスをしたことがあっただろうか。新築で購入した都内のマンションだが、そのローンは決して毎月安くはない。休みの日というと子供たちは友人宅へテレビゲームをやりに行くか、アイスクリームをエサに妻の「金額の極めて限られた」買い物に付き合うか、飯を食って糞をして寝るか、だった。ここのところ、どこか旅行にも行けていない。日々の生活が少し豊かになると思うだけで、心はここまで弾むのか。
 「毎日ご苦労様。君のリーダーシップと勤勉さには、だいぶ助けられているよ。」
 「もったいないお言葉です、私は仕事をしているだけです。」
 牧野は稗田をじろりと一瞥した。しまった、わざとらしかったか。稗田は自らのパフォーマンスをやや省みた。真面目な振りをするのも、なかなか難しいものだ。
 「さて本題に入るけども、これを見てもらいたいんだが」
 牧野は傍らに置いてあったファイルからDVDのディスクを1枚取り出し、DVDデッキに挿入した。入社の際の研修時もキャリアアップについての映像を見た、当時はまだビデオテープだったが。時代は変わり、私の椅子も変わるのだ。これぞ諸行無常。
 しかし映し出された映像は、誰もいないロッカールームだった。監視カメラからの映像らしい。どこか生気のないその映像に、ぬるっと入ってきたその背中はどうやら稗田その人らしかった。片手には弁当箱を持っている。映像の時間表示をみると14:30だった、腹も減る。
 「課長、これは…」
 「まあ、見ていたまえ」
 稗田はうろたえた。待て、私のグロリアスロードはどこへ逃げた。
 映像の中のぬるっとした私は、ロッカーに弁当箱をしまい、自分の目線より少し上を見渡し、ロッカーの上に乗っているタンブラーを持って、オフィスへ戻っていった。そこで牧野は映像を停止させ、稗田の方へ向き直り、細くため息を吐いた。
 「以上だ、この時のことは覚えているか?」
 「いや…」
 このとりとめのかけらもない映像は何だ。日常そのものしか映されていない。私は毎日定刻に休憩に出、定刻にデスクへ戻る。果たして牧野はこの映像を見せるためだけに私を呼んだのだろうか。稗田の頭は、牧野に対する疑心に満ちていた。私に昇進の話をしない上司など、そこらへんのおやじとなんら変わらない。
 「君はこのとき、何をした。」
 「これを見る限りは、昼飯を終えて弁当箱をロッカーへしまい、ロッカーの上に置き忘れたタンブラーを持って、デスクに戻りました。」
 「『置き忘れた』??どこの何を?」
 「タンブラーです、あの、ロッカーの上にあったものです。」
 牧野はじっと稗田の目を見据えたままだった。
 「私はこの日も、昼休憩に入る際に、デスクから持ってきたタンブラーをロッカーにしまおうとしていましたが、財布などを取り出す際にロッカーの上に置いたまま、忘れて昼食に出てしまったんです。よく食事中にそのことを思い出して、気をつけなければとは思うのですが…。お恥ずかしいお話ですが、最近よくあるんです。」
 稗田は事実のみを話していた。この日この時間という明確な記憶はさすがにないが、最近どうも仕事以外の物忘れがひどいのは確かだ。
 「毎日この映像をチェックする人間がいるのだよ、もちろん早送りでだがね。その人間が、これは盗難ではないか、と。」
 「ト、トーナン?」
 「被害の声などは出ていないが、映ってるのは明らかに君だ。この映像の中に、今の君の話を裏付けるものが映っているかね?これが君のタンブラーだという証拠が、どこにある?」
 稗田はこのバカバカしい話を真剣に考えた。警備員が不審に思い、社員に通達する。それが本来あるべき警備の形なのだろう。しかし、この映像を不審に思うのはCIAの幹部でも1人いるかいないかの世界ではないだろうか。平和ボケした日本人では少なくともないだろう。うちの会社は外国人の警備を雇っていたのか。少し頭をひねって、稗田はこう応えた。
 「それでは、この映像の1時間前のロッカールームを映してみてください。昼休憩に出てきたばかりの私が、ロッカーの上にタンブラーを置き忘れる様子が映ってるはずです。」
 牧野は少し黙ってから「うむ」といったような顔で席を立ち、十数分後に新しいDVDを持って部屋へ入ってきた。牧野が席を外したその十数分間、この映像に映された疑念だけで私を呼び出したのか、と稗田はとっぷり考えたが、出たのは答えではなく、この会社が神経質だ、そう長くないという感想だけだった。牧野はDVDデッキにディスクを入れるなり、数人かの社員と共にオフィスからロッカールームへ来る私が映し出された。まるで予言したかのように、映像の中の私はロッカーの上にタンブラーを置き忘れ、そのまま食事を済ませに外へ出て行った。
 「この時私が置き忘れたタンブラーと、先ほど私がオフィスへ持っていったタンブラーは同一です。」
 稗田はがんと言い放った。疑われたことよりも、信じられていないということの方が大きかった。自分に信頼を置かない会社に定年まで在籍するのは、懸命なことだろうか。稗田は自信たっぷりに一言付け足した。「監視カメラが定点観測ならば、映像上二つのタンブラーは、完璧に合致するはずです。」
 「ううむ、確かにそうだ。疑ってしまって本当に悪かった。この件に関しては、必ず何かでお詫びをしよう。」
 「はぁ」
 どこか釈然としないが、早くこの部屋から出たかった。この会議室は稗田にとって、とにかく居心地の悪い場所になってしまった。席を立とうとした刹那、牧野は稗田にこう言った。
 「ところで質問だが、この監視カメラ。最近はDVDで映像を保存している。これは何時間ごとに保存されているか、入社研修でやったが覚えているか?」
 「ぇ…、1時間ごとでは?00分から59分59秒まで」私は研修で習ったものの、何の役にも立っていないその情報をかろうじて覚えていた。
 「その通りだ、今の映像でおかしいところが、もう一点だけあるが、稗田くん、君は気付いたかね?」
 稗田がハッとした時には、牧野はもうニヤニヤしていた。
 「我が社は、お昼の休憩はきっかり1時間だっ」
 今思えば、牧野は食品会社の中間管理職などよりは、刑事や探偵が天職なのではないか。
 稗田はその冬、新居の雪かきで大忙しだった。
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