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# 心感温度 (Sep, 21, 2007)
2008/11/10 17:58
寒い
すごく寒い
ずっと寒い
いつからだろう
少なくとも今年の夏はずっと寒かった


じゃあ暖かいって何だろうか

LML社のスクーターをかわいい女の子と二人乗りし、オーダーメイドの細身のスーツの上に51年式のモッズコートを羽織って、リッケンバッカーのギターで好きな曲を好きなだけ弾いて、一生かかっても使いきれないお金もあって、いつでも好きなだけ飲めるコーヒーを片手に親友と談笑できる家がイギリスにあってそこに住んでたら、暖かいんだろうか

いやそれでも寒いと思う

どうしたら暖かくなるんだろうか



何が僕にはできるんだろうか

今の僕にできることは、叫ぶことくらいか
あとはねっとりとした自嘲の念がこびりついた独り言を言うくらいか
ためいきすらつけない
中学生がするような答えのでない自問自答くらいか


何のために生きているんだろう

「人間は死ぬために生きている」と書かれた本があったことは覚えている
それも今ならうなづけそうだ


今年の夏休みに実家に帰省したとき

ハーモニカを買いに行くついでに父に何か買ってくるものはないかと訊いたら

「なぜ生きる」という本を指定された

結局ハーモニカは買わなかった

何の疑問も持たなかった


空元気なら誰にも負けない

もし空元気を発揮することが商売になったとしたら
間違いなくラスベガスのど真ん中に「空元気御殿」なる城を建ててそこに住んでるだろう
というくらい空元気には自信がある

相手に心配をかけまいと空元気を、だったらまだ健気だ
誰かに相談しても仕方ないからしたくない、感づかれないように空元気を、だ

本音は誰にも言えない

本音を言うことほど心身の労を費やすことはない

そもそも心身の労の心配をするほど疲れてるのか?という疑問が念頭にある

だからもしかしたら、落ち込んでる人の肩を
「なんとかなるさ!」
と叩いて送り出しても
見送ってる最中は
「バカみてぇ」
と思っているかもしれない

赤の他人に親切にして
笑顔の一つも帰ってこないときはたいてい「バカみてぇ」と思ってる

とても良いヤツに思えてもとても悪いヤツかもしれない

僕が友達だと思ってても向こうは友達なんかとは思ってないかもしれない

制限速度+15km/hで走ってれば止められない、だなんて
所詮みんなが言ってるだけであって、信憑性は全くない

「アイドルはうんこの代わりにピンク色のマシュマロを出す」
なんて昔誰かが言った冗談は、実は本当かもしれない

不安要素なんか無いと思ってても実は問題山積みかもしれない

何も信じられない


誰かの歌にもあった
「知らなきゃよかったって思うことばっかり」

昔は「知らぬが華」なんてことわざ嫌いだった

隠し事は皆無にしたかった

それを強要するがあまり
自分の首を絞めた


先日、中一の時の担任が夢に出てきた

中一の時の担任のK先生は、担任をしているクラスの生徒
つまり僕たちからいじめられていた

授業中、頭に消しゴムを投げつけられたり
教室内のK先生の机の上に、花瓶が置いてあったり
給食になる直前に教員用の回転イスのネジを外して転ばしたり
K先生の牛乳を一週間前のものとこっそり取り替えたりされていた

そのいじめの全てが女の子たちの考えたもので
原因は、K先生の
頭が禿げ上がっていて
前歯が出ていて
肥満体質で
めがねをかけていて
脂性だったからというだけで
いじめていたらしい

K先生が激怒してもむしろ逆効果で
生徒たちの間には笑いが起こった

いつだったか、K先生がクラスの学級委員や
いわゆる「K先生をいじめない人」たちを
会議室に呼び出して、いじめの対策の会議をした
そこには僕も呼ばれ、みんないろいろな提案をしたが
残念ながら効果は何もなかった

僕自身はK先生の味方のつもりだった

K先生はとても優しい人だった
授業後など質問してくる生徒にはいつも笑顔で応対していたが
女の子にとってそれは単に「気持ち悪かった」だけなのだろう

結果、K先生は僕の通っていた中学に赴任してたった一年で
近くの小学校に異動されたが
その小学校でも同じ事が起こったのだろう
また一年で異動されたようだ

ここまでは現実の話

夢の中で僕は久々に中学校に遊びに行った
するとそこにK先生の姿があった
僕のことを覚えているだろうか
「お久しぶりです、K先生覚えてますか?僕のこと」
「おお宮川、久しぶり元気にしてたか?」
握手を交わした、という夢だった

目が覚めて夢を思い出す

握手をする前とした後、僕は後ろで手を組んでいた

する前は、右手が下
した後は、左手が下だったのを克明に覚えている

あの夢がもし続いていたとしたら、きっと夢の中の僕は
手を洗いに水道に走っていた

自分がただの偽善者だということを長い間忘れていたんだと思う
結局は僕も、クラスの女の子と変わらない
人の心を平気で踏みにじり、唾を吐き捨てるような人間なんだ

偽善を働くということは、何かしらの見返りが欲しいんだろう
僕はとことん性根が腐っていると思う
クズだ

さっきまで見てた夢と、どんどん更新されていく現実
その現実に僕はいつまでこうやってしがみついているのだろうか
現実の世界を楽しむなんてこと、どうしたらできるだろうか
夢より優れた現実なんて、存在するだろうか
存在したとしても、そこに僕はいない


心配されたくて、とか、コメントが欲しくて、とかでこんなこと書いてるんじゃなくて

mixiで過去の自分の日記を見るなんて時は必ず何かで浮かれているときだから
未来の自分が後になってこれを見たときに
ゲラゲラ「こんなこと考えてた時期あったな」って笑えるために書いてる

でももしかしたら「未来の自分」なんかいないのかもしれない


コンタクトレンズを外す度に自分の顔を見て
絶望する
吐き気を催すんだったらまだいい
「吐く」っていう衝動をもらえるんだからその顔はたぶん生きてるんだろう


「仮面を付けて生きるのは息苦しくてしょうがない」
そんな歌もある
僕はきっと、仮面を外したら人間性を疑われる人間だ
気が狂っていると見なされるんだろう
頭の病気だって思われるんだろう

排泄物みたいな性格だ


誰も僕に用なんか無いんだろう

「宮川じゃなきゃダメ」ってことが一つもない

そんな確信が
「誰も僕を必要としていない」っていう小さな誤解の種に余計な水分を与え
それが芽を出して小さな予感、恐怖に変わって
今、花も咲いていないくせに猜疑心という殻の堅い実に変わりつつある

僕なんかどっちにしろいてもいなくても同じなんだろう

そこにいなくてはいけないのが、僕である必要がどこを探してもない


懐古主義のくせに記憶力の悪い男に
何を思い出せるだろう
たいして現実を噛みしめていないから
どこかで聞いたような皮肉を引用して
お得意のねっとりとした、誰に言うでもない独り言で
その場をやり過ごしている
過去のその場しのぎを思い出すことを、ノスタルジーと勘違いしている


自分ではたいそう立派な作品だと思ってるものを
ただの自己満足だと一蹴されたこともあった

元気づけようと送ったその作品を
悪口として受け止められて
怒られた

表現力が微塵もない僕がいけないってことは
わかっていたつもりだった


文才がない
話芸の一つもない
絵心もない
音痴で
体力もない
自惚れる要素なんて一つもないのに
自惚れている

僕は人間の欠陥の寄せ集めだ


喜怒哀楽の喜と楽なんか、どこかに吹っ飛んでしまった

そういえば少し前まで
喜と楽の違いがわからなかった

なくなってから気付くものが多すぎる


親戚の顔なんて
滅多に会わないから、笑顔でしか覚えてない

友達の顔だって
記憶の中ではたいていは笑顔だ

いつも笑顔だった人の死に顔は



いなくなってから気付くことが多すぎる


世界に希望なんてあるんだろうか

僕は自分に甘いだろうか
甘いと言う人は多いだろう

自分に厳しくして、何かいいことがあるなら是非教えて欲しい

「人間として成長できる」なんて
僕みたいな陳腐な答えじゃないものを、是非



ジュースとお菓子を傍らに置いて
寝っ転がってドンキーコングをやって
「ご飯できたよ」って呼ばれて
両親と二人の姉と僕の5人で食卓を囲んで
餃子かカレーを食べていれば暖かい

そこで更に父があてもなく
「ハワイに住もうか」ってぼやけば、もっと暖かい


あの暖かさは、おそらく二度と訪れることは無いんだろう

全部僕が悪いんだ
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