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# 仮名入力、ラルク、悪魔 (Apr, 29, 2008)
2008/11/10 18:09
ケータイの仮名入力で「USA」って打とうとすると「夢か」になるってさっき気付いた


昔、アルゼンチンにいる僕の友人がこんなことを言っていた
「自由って何だ?」

およそ多くの人がこの問題を敬遠しただろう
そして今まさにその問題に直面している人間も少なくないだろう

実物でもかりそめでも
自由とは何だろうか

それを欲しがるのもまた無い物ねだりだろうか

「私昔ラルク好きだったけど、歌詞でいつも自由を自由をみたいなこと言ってたからあんま好きじゃなくなっちゃった」
と言っていた人がいたが
しきりに自由を求めたら嫌われてしまうのだろうか
「嫌われたくない」って思いに縛られる故に自由というものを損なうとするならば
容易いことではないけれどその思いを捨てたらどうなるだろう?
僕の知る限り
「嫌われても一向に構わない」と心から思ってる人と付き合うのは
実に面倒だが

むしろ「自由とは何か」
「自由が欲しい」
「自由になれれば」
というのは
自由という概念に縛られているんじゃないだろうか
もしかして自由というのは底の知れない落とし穴みたいな物で
フタの上にいちご大福でも乗っけて我々を待ち構えているんじゃないか
だとしたら見事引っ掛かった僕はそれを認めたくないのだ
でも僕は自由を求めずにはいられない

自分で用意しなくても飯が喰えて
行きたいところにいつでも行けて
イキたい時にイキたい相手とイケて
べリアルという悪魔のように手のひらからいくらでも金が出てきても
きっと形の見えない自由に憧れ続けるんだろう

自分の時間というのは極めて自由に近い
しかしその時間も限られているから
いつまでもギターで遊んでいる訳にもいかないのだ
人は何のために働くのか、という問いに
金を手に入れて自分の時間を増やすため
と答えた人もいたが
時は金なりとはよく言ったもので
彼らは自分の時間を稼ぐために自分の時間を犠牲にするのだろうか
それはそれで至極明解な正解だとは思う
相応の金を払うことによって自分のやらなければいけないことを誰かに任せ自分の時間を手に入れる
資本主義国家はその資本に縛られているのだ
あるいは好き好んで自らを資本という錆びた鎖で締め付けているのかもしれない


アツヒトは決して不幸じゃない

僕たちは、エアーメールで明らかにアルゼンチンに住んでいることがバレていても
文章には「僕はオランダに住んでいる」と堂々と書ける勇気にも似た握力を
大層入手困難な「自由」をいつか掴むために事前に持っておかなければならない
なぜなら、その時になってからでは遅いのだ
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